実歴阿房列車先生
高 遊外(こう ゆうがい, 1675年(延宝3年) - 1763年(宝暦13年))は、
江戸時代の黄檗宗の僧・月海の還俗後の自称である。
本名は柴山元昭、幼名は菊泉、
僧であった時の売茶翁の呼び名で知られる。
肥前蓮池道畹(佐賀県佐賀市)の生まれ。蓮池の領主鍋島家に
仕える御殿医であった父、柴山杢之進と、母、みやの三男として生まれる。
11歳で出家し、肥前の龍津寺の化霖禅師について禅を学ぶ。法名は月海。
57歳のとき、師の化霖が遷化すると、突如、龍津寺を法弟の大潮に任せ、京都に上洛する。
61歳で、東山に通仙亭を開き、また自ら茶道具を担い、
都の方々で席を設けて客を待つという、煎茶を売る生活を始める。
「仏弟子の世に居るや、その命の正邪は心に在り。事跡には在らず。
そも、袈裟の仏徳を誇って、世人の喜捨を煩わせるのは、
私の持する志とは異なっているのだ」と述べ、売茶の生活に入ったという。70歳の時、10年に一度帰郷するという法度によって故国に戻り、
自ら還俗を乞い、国人の許しを得る。そこで自ら高氏を称し、号を遊外とする。以後、87歳で蓮華王院の南にある幻々庵で逝去するまで、
「売茶翁」として、貧苦の中、煎茶を売り続ける。
しっかし何でも載ってますね、ホントにw
売茶翁なんてものすごくマニアックなのにwwwwww
今更になって、自分のHNも「興遊街」なんていう
名前でもよかったかな、なんて思ったり。
あ、先に言っておくと、今日はすべて読書とか
日本語とか、そんなんに関連したエントリですw