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平和主義

まず「絶対平和主義」は、攻撃を受けた場合にも非暴力的抵抗以外の
すべての対抗手段を放棄する立場である。したがって、
すべての自衛権および自衛のためを含むすべての軍備を
放棄することが主張される。この立場は平和主義の理念的基礎を
なすものであるが、国際紛争は絶えず現実的でないなどの理由から
批判されることが多く、実現もしくは標榜(ひょうぼう)している国は
バチカンなどごく一部に過ぎない。


次に、侵略戦争には反対するが、軍隊を持ち自衛権を放棄しないという
考えも「平和主義」という。つまり、正当防衛または
緊急避難(厳密には刑法の緊急避難とは異なる)を正当な権利として認め、
自衛のために軍隊を持つ。しかしこの場合においても、
自衛権の行使は厳しく制限を受けなければならないとされる。
つまり、現に攻撃を受けており、手段が適切であり、反撃の程度が
攻撃に見合ったものでなければならない。また自衛のために
保持する戦力は、他国に対する威嚇や挑発を目的としては
ならないとされる。


また、平和主義は平和および非暴力への方向性をもつ思想である。
したがって、平和構築への展望なく軍備拡張や挑発を行う暴力肯定論は
もちろん具体的なビジョンのない理想論も厳密には平和主義とはいえない。


日本国憲法前文および日本国憲法第9条で平和主義が掲げられており、
国民主権主権在民)、基本的人権の尊重とならぶ三大原則の
一つとなっている。憲法第9条で規定される軍事力の不所持は、
武力抵抗と軍事的抑止を否定した「絶対平和主義」と批判される。
当初の政府の解釈では、国際平和の達成時には軍隊は不必要であるから
率先して軍隊を持たないとし、実際に軍隊を持っていなかった。
(ただし米軍の駐留は続いていた)しかし、冷戦の激化などとともに
解釈の変更が行われて絶対平和主義(という語は憲法解釈として
公式には使っていないが)を標榜しなくなり、
現在では事実上軍隊を保持している。


憲法九条を文言通りに解釈し、絶対平和主義に立った場合、
諸外国にとって、日本は決して反撃をしない国だと思われる。
すると、侵略者となることが合理的であるかのように見える。
このことは、憲法学者の長谷部恭男によって指摘されている。
この観点からすると、最低限の自衛力は各国と抑止的な関係に
立つために今のところ必要である。重要なのは、
やられたらやり返すという「ポーズ」であるとされる。

もちろんそのためには軍事的な実力をもっていなければならないし、
万が一その必要が生じれば、軍事攻撃を行うこともあるだろう。



念仏平和主義(ねんぶつへいわしゅぎ)とは、行動が伴わないのに
「平和」「反戦」を主張するだけで自分だけはいいことを
しているかのごとく錯覚している思想を批判した言葉である。


司馬遼太郎が新聞のコラムの中で用いたことがきっかけとされている。


主に、非武装中立論を提唱する論者に対してこの言葉が使われ嘲笑の対象とされている。

平和主義の弊害。実際問題、防衛力は必要。
結局、「世界に先駆けて、非武装中立をすることで世界平和の先駈けに」という
思想に泣かされ続けた60年というのが、日本の戦後の一面ではないでしょうか。
竹島は盗られ、北方領土は盗られ、在中、在韓日本人の資産も根こそぎ盗られ、
韓国には北朝鮮の分の賠償金まで盗られ、中国にはガスを盗られ、
不当な搾取を受け続けた60年間。
以前にも書きましたが、現在、日本は右傾化しているのではなく、
中道化しているのです。


これだけ大事なものを盗られ、馬鹿みたいに「世界平和のために」などと
ほざく国家が健全なものか。
自分のものも守りぬけない国家など滅んでしまえばいい。


そして司馬遼太郎がいいコトを言った。
非武装中立論は、間違いなく危険思想。
念仏のように平和主義を唱えればいいってもんじゃない。
そもそも

具体的なビジョンのない理想論も厳密には平和主義とはいえない。

と書いてありますしね。