スキャンダル

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大韓航空機撃墜事件

大韓航空機撃墜事件(だいかんこうくうきげきついじけん)は、
大韓航空の旅客機 が、ソビエト連邦の領空を侵犯したために
ソ連の戦闘機により撃墜された事件。


撃墜されたのは、大韓航空ボーイング747-230型機(HL7442)で、
ニューヨーク(ジョン・F・ケネディ国際空港)からアンカレッジを経由し、
ソウルに向かうKAL007便。ソ連の領空を侵犯したあと、
領空から出て30秒後に、樺太の近海でソ連スホーイ Su-15TM迎撃機から
ミサイル攻撃を受け墜落した。乗員・乗客合わせて269人が死亡。


なお、この事件には、ソウル経由で日本へ帰国する途上であった
日本人乗客も多数搭乗していた
ことや、日本の自衛隊が事件の様子を
レーダーなどで観測・傍受しており、その傍受内容が
国連安全保障理事会で公開されたなど、日本も深く関わっている。


当初ソ連当局は撃墜の事実を否定していた。上記のように、日本の自衛隊稚内で傍受していたソ連軍機の生々しい交信の一部を国連安全保障理事会で公開したことにより、初めて公式に撃墜の事実を認めた。

007便は樺太沖に墜落し、日本の船が墜落現場に駆けつけたとき
既にソ連船がブラックボックスなど遺品を回収していた。
しかしながら、ソ連当局は『スパイ飛行説の反証となりうる可能性がある』との
理由から、その後回収したことを長いこと隠しておいた。
これはソ連崩壊後、ロシアによって公開されることになる。
それまでにソ連は分析を済ませ、スパイ行為説を否定する
見解を極秘報告書として出していた。つまり、ソ連
国家の面子のために真相を封印したのである。


これを裏付けるように、1976年に函館空港での
ベレンコ中尉亡命事件でアメリカに亡命し、空軍顧問と
なっていたビクトル・イワノビチ・ベレンコ元ソ連空軍中尉は、
事件当時、アメリカ国防総省の依頼で交信を解読し
領空を侵犯すれば、民間機であろうと撃墜するのがソ連のやり方だ。
ソ連の迎撃機は、最初から目標を撃墜するつもりで発進している。

地上の防空指令センターは、目標が民間機かどうか分からないまま、
侵入機を迎撃できなかった責任を問われるのを恐れ、パイロットに
ミサイルの発射を指示した」と、1997年8月の北海道新聞
インタビューで証言している。

知らない人も多いのではないでしょうか、
大韓航空機撃墜事件です。
いわゆる戦後史。以前も自分の病的なまでの戦後史好きについては、
何度かアツく語ってきた(下部参考リンク参照)と思いますが、
この事件など、戦後史の面白さ(といったら語弊があるかもしれませんが)、が
よく出ていると思います。
ソ連の戦闘機が民間のジャンボジェットを撃ち落して、
しかもそれを国家の終焉まで隠蔽し続けた。
そんな現代ではびっくりなことが20数年前に起きている。
しかも、今となっては知らない人も多くなってきた。
こんなハチャメチャな事件なのに。
この辺が戦後史の醍醐味ではないでしょうか、うまく言い表せませんけど。
60年前に神風特攻隊が決死の突撃をした、というのも
十分「ハチャメチャ」ではありますが、しかし最早60年前の話。
ところがこれは20数年前。1980年代の話。1980年代って言ったら
自分が生まれる1989年と同じ年代。
そう考えるとびっくりですよね。
けれども生まれては居ない。
そんな微妙な親近感、疎遠感。
近くて遠い戦後史、手が届きそうで届かない魅力とでも言えばいいんですかね?




参考リンク;
チェルノブイリおそろすぃ…(AJEA_Blog)
雑感所感。(AJEA_Blog)