日本びいきの由来

http://nullpo.2log.net/home/hirari/archives/blog/hirari/2006/05/24_071543.html

69 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2006/05/16(火) 19:54:35

既出かも。日本での熱狂的な歓迎に涙をこぼした大の親日
ジャズの巨匠アート・ブレイキーのエピソード
http://home.netyou.jp/ww/winerose/BackNo-17.htm

素晴らしいメンバーを従えてアート・ブレイキー
初めて羽田空港に降り立ったのは、1961年元日の夜10時のことだった。
機内から外へ出た瞬間にブレイキーが目にしたのは、花束を持ち、
こちらに向かって熱狂的に手を振っている無数の若者達。
彼はいったい同じ機にどんな有名人が乗っていたのだろうと思ったのだが、
これが実は自分達を歓迎するファンの渦だと知ったとき、彼の目からは
大粒の涙があふれた。
アフリカン・アメリカンとして、常に差別を意識せざる得ない状況の中で
生きてきたブレイキーにとって、この、彼らへのただ手放しの歓迎ぶりは、
にわかには信じられないことだったのだ。

 
タラップを降りると、ファンからの花束に埋もれ、スピーチを求められても、
涙が止まらなくてとてもそれどころではない。
ただ顔をくしゃくしゃにしたまま、
ブレイキーはある屋敷で開催された歓迎会へと向かったのだった。
その後のライブにおいても当時最前線を行くジャズに感動した聴衆の熱狂ぶりも
またブレイキーをいたく感動させる。


人種も国籍も異なる東洋人がこんなにも自分達の演奏に大きな拍手を
送ってくれるなんて・・・・
彼の目には再び涙がにじんでくるのだった。
こんな体験をしたブレイキーが日本びいきにならないわけがない。
以後の彼は、日本人と結婚するわ、息子に日本名をつけるわ、毎年のように来日するわ・・・・・・




75 名前:69 投稿日:2006/05/16(火) 20:26:02
アート・ブレイキーのエピソード他HPから補足
http://home.s06.itscom.net/hard-bop/file/blog02/009.html

空港には熱狂的なファンが多数ブレイキー一味を出迎えました。
それだけでも彼らにしてみたら、
「誰かVIPでも飛行機に乗っているのか?」というほどの仰天モノなのに、
全員が自分たちを迎えに来ていると知ったブレイキーは、大泣きしたそうです。
すると、ファンの一人がブレイキーにおずおずと近づいて来て、こう言ったのです。


熱狂ファン「ミスター・ブレイキー!お願いがあります。」
ブレイキー「何だい?」
熱狂ファン「僕と一緒に写真を撮って下さいませんか?」
ブレイキー「は?本気か?」
熱狂ファン「もちろんです!是非、是非お願いします。」
ブレイキー「俺は黒人だが・・・そんな俺と同じ写真に写っていいのかい?」
熱狂ファン「そんなこと知ってますよ。是非お願いします。記念にしたいんです。」
ブレイキー「俺は黒人だぜ。本当にいいのか?」


当時のアート・ブレイキーと言ったら、ジャズ・シーンのスーパー・スターです。
そんなブレイキーでも本国アメリカでは、ごく普通に差別されていた・・・
そんな時、日本国民は、素晴らしい音楽を日本まで運んで来てくれたスーパー・スター、
アート・ブレイキーに心から感謝し、尊敬し、それをごく普通に、態度で示したのです。
これって、涙が出るほど、素晴らしいことですよね。


のちにアート・ブレイキーはこう語ったそうです。
我々を人間として迎えてくれたのは、アフリカと日本だけだ
大の親日家になったブレイキーは、その後、日本女性を妻に娶りました。

いやー、いい話。基本的に日本人って、外国人に対する排他的感情は
国際的に見てもかなり少ないレベルなのだとか。
確かに日常生活においても、道案内を頼まれた日本人が、
分からない英語を必死に理解しようとしたりして、
もう手放しで歓迎って感じ。
で、当然ここで気になるのは、そんな日本人をしてすら排他的にさせる
特ア三国の存在ってどうよって話。

あーあ、うざっ。