司馬遼太郎が考えたこと4

司馬遼太郎が考えたこと〈4〉エッセイ1968.9~1970.2 (新潮文庫)

司馬遼太郎が考えたこと〈4〉エッセイ1968.9~1970.2 (新潮文庫)

アツかったです。
個人的には、特に「春日の大杉――ある銘木屋のこと」
がよかったです。大阪商人の堂々たる姿。感動でした。


とりあえず、名言拾い上げ。


「茶道というものには、その祖型もしくは遺伝因子として
キザったらしい精神があるという見方をすることは、
茶道の理解のために必要なことではあるまいか。」


歴史小説を書くについて、とりあげるべき
人物の履歴の断片々々はできるだけあつめねば
ならないことは当然だが、しかしそれらの断片そのもの
については歴史研究者なら重大な意味があるにしても、
作家のばあい、せっかくあつめたそれら断片々々は、
それそのものについてはなんの、もしくはさほどの意味もない。
断片々々は、その作家にとって見たこともない
人物がどういう人物であるかということにせまるための
想像の刺激剤でしかないのである」


「『じゃ、貴公らは粕壁へひきあげろ。
私はここで一人でもって近藤を待っている』」
(流山を攻め落とし、
近藤勇が約束に沿い投降することを信じた
官軍側司令官の有馬藤太のことば)



「『このごろ、つくづく小説を書くよりほかに
何もできん男だと思うよ。君も知ってのとおり……』
 こういうかれをああ美しいなと思う。
秩序美をもつ男とはすなわちかれのような人
をいうのだろう。
 『初老にさしかかったから、たがいにこれからは
からだをいたわってやろうや』
 涙が出るほど、人間おもいなのである。」
司馬遼太郎の関西外語時代からの友人、赤尾兜子のことば)


「いまからおもっても変な小説であった。
題は『ペルシャの幻術師』というもので、
モンゴル人がペルシャ高原を支配したころを
舞台としており、そんな舞台を考えたのがいけないのだが
日本人というものが登場しておらず、出てくるのは
えたいの知れぬモンゴル人とペルシャ人ばかりであった。」


「最初に書いた作品――右の『ペルシャの幻術師』
からみれば二度目の作品だが――は、これまた妙な
小説で、題までが制限漢字のどうしようもないものであった。
つまり、『弋壁の匈奴』という。」

ちなみに、この言葉には、ついつい笑ってしまいました。
「題までが制限漢字のどうしようもないもの」ってさ。
自分で言うなよ(笑
普段、笑いをとる文章を書かない司馬遼太郎だけに、
笑った後、どくとくの心地よさに浸っていました。
ちなみに、「ごび」の部分が見事に変換できませんでした。


「小説作品の批評というのは、一面、あの女性は
美人かどうかという議論に似ている。
けなす側は、彼女の顔は鼻孔が見えすぎているとか、
小鼻が張りすぎているとか、まつげが
短かすぎるとか、生えぎわがもっと濃くありたいとか、
部分々々の形象観察において的確であり、
その当人もみとめざるをえないほどに説得力もある。
が、ほめる側に立つと、部分々々の形象の問題を
はずすか越えるかしてしまって、いきなり魅力が
あるかないかの、右とはまったくちがう次元においての
議論になる。」
深いですね。小説の批評について、
分かりやすいたとえで表現しています。アツい。




でわ。