著作権問題が市場に及ぼす歪み

http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060619

著作権問題によって国語の過去問集が入手しづらくなっている。
例えば、赤本で有名な教学社からこれまで出版されていた
「東大の現代文」「京大の国語」シリーズが絶版と
なってしまっている。23年分とか25年分に渡って
東大や京大の過去問を網羅して収録してくれている国語教師と
しては非常に有り難い本だったのだが、おそらく著作権の問題で
出版できなくなってしまったのだろう。現在、これらの書籍を
入手するためには中古を利用するしか手がなく、オークションや
古本屋では定価の2倍近くの値段で扱われてしまっている。
こんな所にも著作権問題による歪みが現れて始めている。

これはひどい
どうなるんでしょうねぇ、これから。
以前からひっそり取り沙汰されてはいましたが、
こうなってしまうと、受験生としては不便だなぁ。
入試問題の文章だけ読むの、好きなのに。w


しかし、この人のこの主張には納得できかねます。
勝手な解釈をするな!というなら…

自分の文章を入試問題で使われることに抵抗感を持つ作家の
方々の中には、入試問題の中で『筆者の主張は〜』『主人公の気持ちは〜』
というタイプの出題がされることに対して不快な気持ちでいる者もいるようだ。
だが、作品は読者と作者の間にあるものだ。解釈されるのが嫌なら、
発表しなければよい。
大手出版社から自分の作品を出すことを
選択した限り、その作品は多くの人間の目に触れ、その時代、
その文化によって判断されてしかるべきだ。その時代その文化に
おいて多くの人の目にふれ解釈されることで作家として食って
いけているんじゃないのか。入試問題による解釈だけはダメなのですか?
もし解釈を拒否するなら、ひっそりと自費出版するか、
日記にでも書いておけばいいではないかと思う。


(中略)


入試という制度を持ったこの国にいながら、入試問題に
されることだけを拒絶するというのはどうなのか。
もし入試制度のない国だったら、その作品は
支持されていなかったかもしれないのに。もし解釈自体が
嫌ならば、書評や書店のコメントや帯に貼られた
キャッチコピーや文芸評論家様による解釈も拒絶してはどうかと思う。

これは違う。
入試問題に自分の作品を使われることに抵抗感を持つ文筆家の多くは、
解釈されることを嫌っているのではありません。
出題者の勝手な解釈を回答者に押し付ける、その作業に
自分の文章を利用しないでくれ
と言っているにすぎないのです。
現在の現代文の入試問題は、まず間違いなく
「出題者の勝手な解釈を回答者に押し付ける」ものです。
でも、こればっかりは現代文の問題を作るうえでどうしようもない壁ですから、
仕方の無いものです。
ただ、その文章の執筆者が「そういうやり方で入試をするのは勝手だが、
俺の文章を使ってそんなことするのはやめてくれ」というのは
当然の権利ではないでしょうか?
世に出した文章が評価されるのは当たり前の話。
繰り返すと、ただ、その評価を人に押し付ける作業に俺の文章を使うな、
という至極単純な主張だと思います。
キャッチコピーも文芸評論家の解釈も、
それらと自分の解釈とに違いがあっても、
別に一生が左右されるような事態にはなりませんし。

これも繰り返しになりますが、現代文という教科の習熟度を調べるために
出題者の解釈を押し付けてしまうということは、避けようの無いこと。
共存の道があればいいのですがね。
(やはり入試問題への使用を拒否する文筆家の姿勢は、
尊重するのが近道だと思うのですが。)