功名が辻 4

功名が辻、完読しました!
いやぁ、面白かった。
多少、司馬遼太郎が書いた長編小説に共通する、
簡単に言えばグダグダ感のようなものは感じましたが、
(あれ、六平太の最後は?小りんは?法秀尼は?的な(ry)
まぁ、それも含めての司馬小説かな、と。
とりあえず、何より面白いと思ったのは
山内一豊の人柄。解説に、永井路子さんがこう書かれています。
「これも司馬さんと話したことだが、千代の周辺をさぐっていって、
司馬さんが千代をおもしろいと思ったのと反対に、
むしろ私は夫の一豊という男がおもしろくなったのである。」


千代のような、悪く言えば小ざかしい女というのは、
結構あちらこちらで居るもので、
家康のような頭のきれる人が女になっただけだと思います。
そりゃ頭があれだけきれれば、たいていのことはできるでしょう。
ただ、伊右衛門(山内一豊)のような、律儀だけが取り柄の
男が、一国一城の主になる。そりゃなにより千代のおかげでしょうが、
あくまで体を動かしたのは伊右衛門。律義者が律儀だけで
何処まで行けるか、という挑戦の記録でもあると思います。
古今東西、(妻という環境が大きく左右したとはいえ、)
律儀だけでここまで上り詰めた人間というのは、
そうそう居ないような気がします。
まぁ、一国一城は、何より徳川家康のおかげですが。


解説の永井路子さんは、こうも書いています。

「あの戦国乱世に織田、豊臣、徳川に仕え、終りを全うした
家は、山内とか細川とか、数えるほどしかいない。これは
山内一豊が、いわゆる槍ひと筋の武功型の武将でなかったことが
幸したのではないかと思う。ちょっと見には、華かな
武者働きが戦国武将的でおもしろいが、むしろ、地味な外交、
政略などの総合力によらなければ、命は保てない。
腕っぷしの強いだけの武将が次々脱落するのはこのためだ。
秀吉や家康は、戦陣の駈引もうまかったが、彼らが天下をとったのは、
むしろ外交、政略のたくみさによるところが多い。一豊にいたっては、
武功の方は極めてお粗末だ。朝倉攻めに、敵方の武将三須崎勘右衛門の
首をとった事ぐらいであろうか。それだけに外交、政略の才は
かなり評価されていいと思う。
 私はこの人物に、小型の家康を感じている。がまん強さ、息の長さ――。
かつての同僚に次々追いこされても黙々と地道に生き、
遂に戦国から徳川三百年を生き通す基礎を作るのである。
この彼に賢婦千代の伝説がまとわりつくということは、ある意味では
理由のないことではない、という気がしている。」

やっぱり、こう思ったのは自分だけではないようですね。
というより、この小説を読んだ多くの人がそう思った気がします、
「千代より一豊が面白い」と。


気になる点を挙げるとすれば、終盤の千代の言動。
一豊が土佐に入国するにあたり、多くの人数を上方でそろえ、
土佐の一領具足らに対して、徹底的な武断政治
敷いたことに対し、千代は
「せいぜい、掛川六万石がお似合いだったのかもしれませぬ」などと、
散々に酷評し、(当然、主人公を中心に話を進める司馬の語り口も一豊に厳しい)
一豊が調子に乗りはじめた、といい始めました。
だが、物語の中ごろまで、心には思っていても、
千代がここまで一豊を酷評することはなかったんですね。
今まで言わなかったことを、いい始めた。
まぁ、何がいいたいかと申しますと、
一豊だけでなく、千代も調子にのっていたのではないか、と。
自分の力のみで土佐一国を得たような気でいる、という点では
一豊と大差はなかったような気がします。
一豊に千代が居なければ、これだけの立身はなかったのと同様に、
千代の作品の「素体」が一豊でなければ、やはり
これだけの立身はなかったのではないでしょうか。
一領具足に対する徹底的な武断主義もベストでなくともベターな
選択だと思いますし。
司馬遼太郎は、こうも言ったそうです。

「ぼくがあの作品を書こうと思ったのは、むしろ千代という人が、
好きじゃなかったからでね。あんなかしこそうな女、
嫌な奴だと思っていたが、書いているうちに、たいへんおもしろくなった。
第一、一豊という夫が、すっかりいかれてしまっている。
とすれば、いかれさすだけの何かがあったのだろうと、まあ、そういう
興味が出て来てね」


ただ、桑名弥次兵衛をはじめとする、有能な土佐藩
重臣を召抱えてやらなかったのは、痛恨のミスだと思います。
一領具足の制圧にも、旧臣ならではの知恵があったでしょうし。


それにしても、物語の最後まで流れ続けた
一豊のまったり具合は、物語に落ち着きを与えてくれますね。
高知城築城のときの、みんなの意見を聞いてまわるエピソードもよかったですが、
一番じーんと来たのは、やはり死の当日のエピソード。

 「あすにおのばしあそばしたら?」
 と千代はいったが、伊右衛門は、いやすでに今朝会うと申し伝えてある、
起きる、といってきかなかった。自分の家来に対してさえ伊右衛門は律儀だった。
それだけが取り柄といっていい殿様なのである

その後、評定の最中に一豊は倒れ、そのまま死んでしまうわけですが、
死の間際ですらこの律儀さ具合。今までに見たことも無い、英雄らしくない英雄です。
律儀という、鈍い刀も磨きに磨けばこうまでなるか、と。
ものすごい人間ドラマを見たように思います。


あと、関が原で勝利したものの、なんともいえない無常観に浸っていた一豊が、
土佐一国を得るととたんに人がわりしてしまった、という
描写は、司馬遼太郎

「兵隊のときには、なかなか信心を得たと
思っていたのです。(中略)しかし、戦後はすっかり忘れましたね。」

(「司馬遼太郎全講演 (1)」 「死についてかんがえたこと」より  
この本を下さったなずなさん、ありがとうございました。(><)


と講演会でも語った自身の体験をもとにしているのではないかと。
まあ、余談ですが。


あと、永井路子さんの解説は、ホントにすばらしかった。
自分が今まで見た解説の中で、あそこまでのものはなかなか無かった。
何が良いって訊かれて答えられるものでもないけど。

「小説作品の批評というのは、一面、あの女性は
美人かどうかという議論に似ている。
けなす側は、彼女の顔は鼻孔が見えすぎているとか、
小鼻が張りすぎているとか、まつげが
短かすぎるとか、生えぎわがもっと濃くありたいとか、
部分々々の形象観察において的確であり、
その当人もみとめざるをえないほどに説得力もある。
が、ほめる側に立つと、部分々々の形象の問題を
はずすか越えるかしてしまって、いきなり魅力が
あるかないかの、右とはまったくちがう次元においての
議論になる。」

(司馬遼太郎が考えたこと4 より)
という言葉がピッタリ。これも余談。




司馬遼太郎全講演 (1) (朝日文庫)

司馬遼太郎全講演 (1) (朝日文庫)

新装版 功名が辻 (4) (文春文庫)

新装版 功名が辻 (4) (文春文庫)