コンピュータを扱う「才能」の存在の有無について。

人は誰でも、一度は「越えられない才能の壁」の存在を
感じたことがあると思う。
勉強にしたって、「暗記力」という「才能」には
歴とした差があるし、スポーツは言わずもがな、である。


コンピュータの扱いについても、「才能」が
あるのであろうか?
確かに、コンピュータを扱う上で、あるのとないのとでは
歴とした差の出る「コツ」や「カン」という、あやふやなものは、
確かに存在する。直感で解決法を探し当てる能力、
使用法をカンで当てる能力、確かにあるにはあるが、
それらは、ほとんどすべてが「経験」をつむことによって
解決を図ることが可能なものである。
何、なんということはない。「才能」の差なのではなく、
「経験」の差なのである。この点、国語の勉強に似ている。
国語の勉強など、個人的に本を読み漁る癖さえあれば、
点数はいくらでも出るものである。


しかしながら、もし「才能」があるとするならば、
「経験」を積むことを楽しめるか、積極的にできるか
の差なのかもしれない。この点も、病的な本嫌いの
国語嫌いに「才能」がない、と言い切れるのと、
ひとつごとなのかもしれない。