昨日に引き続き・・・

最後の将軍より。



「春嶽のみるところ、徳川三百年のあいだ、この場合の慶喜ほどの愚行
をした男もいないであろう。しかも慶喜は愚人ではなく、
家康と吉宗をのぞけば、慶喜ほどの政治的頭脳をもった男もいまい。
しかもその教養は、家康と吉宗をはるかにしのぐであろう。
しかしながらもっとも愚昧な将軍でさえできなかった愚行を、
慶喜慶喜は連続的に演じている。
『つまるところ、あのひとには百の才智があって、ただ一つの胆力もない。
胆力がなければ、智謀も才気もしょせんは猿芝居になるにすぎない』
と、いった。」




「つねに寸刻も油断せずにそれら陰謀家のうごきを察し、
手のうちを見ぬき、見ぬくやすかさず防遏の手を打たねばなる立場にあった。
この仕太刀受太刀の双方が、太刀を舞わして演ずる
ひと太刀ずつが、慶喜の将軍就任後の歴史そのものになった。
慶喜は将軍として在位したのは一年ばかりでしかなかったが、この間、
慶喜は身を二条城に置きつつ息の油断もできぬ毎日の時間を送った。
慶喜にとっても日本史にとっても、この一年は長大な時間であった。
慶喜がたとえ超人であっても、それ以上の期間は精神も体力も
保たなかったにちがいない。」




「幕府の弁明は、『勅許がまだおりぬ』ということであった。
列強はそれを嘲笑し、
徳川幕府は日本の唯一の公認政府だと思っていたのに、
まだその上に別の政府があるのか』といった。
この点が幕府の対外的弱点であり、それを指摘されるほど
つらいことはなかった。」




「『将軍は自分がかつて見た日本人のなかで、もっとも
貴族的風采の一人である。秀麗な顔立ちをもち、
額は高く、鼻筋はよく通り、実に好紳士であった』」




慶喜は、疲れた。
これほどに奮闘しても、踊っているのは慶喜ばかりであった。」




「『百策をほどこし百論を論じても、時勢という魔物には勝てぬ』」


「『時勢に乗ってくるやつにはかなわない』」



「『皇国の大事でござれば、休息は御無用になされよ』」




慶喜にすればもはや公卿や諸大名を制御するには、
かれらをこの一室にとじこめ、体力で雌雄を決する以外ない
とおもっていた。それがねらいであった。しかも会議の正味
二十時間ほどのあいだ、慶喜の口は鳴りづめに鳴りつづけ、
かれらにまばたきもゆるさぬ勢いで論じぬき、ついに声がかれた。
みなぼう然とした。慶喜に論じかえすほどの能力もなく、
ついには体力も尽き、二日目の夜十一時ちかくになって
一同降伏するような姿勢で慶喜の論に屈服し、
兵庫は開港ときまった。」



「(この男をほろぼし、殺さぬかぎり幼帝の将来はあぶない)
と考えたのは、薩摩の西郷吉之助であり、それほどに評価し、
この評価を江戸城攻撃計画を推進してゆく最後まで
すてなかった。」



長州藩を代表する指導者である木戸準一郎(孝允・桂小五郎)
は西郷よりもさらに深刻な表現をもちい、
『彼の胆略は、じつに家康の再来をみるがごとくである。
かれが真正面の敵である以上、よほど肚(はら)をきめねば
薩も長も、千仭(せんじん)の谷におとされるだろう』として
諸方の同志をいましめた。」


打つのが大変でした(´・ω・`)